究極の庭

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今日園芸ショップで見たヒヤシンスの鉢。

春の息吹が一杯に感じられるヒヤシンスのつぼみです。


寒い寒いと言っていても、春の命はもうどんどん動き始めている

のですね。


昨日は、「今年はガーデンの改造だ!」なんて大見得をきりました。


一方で「そんなこと言って、一体どこを変えるの。そんな必要ないよ」

というネガティブな声が、気持ちの中で聞こえてきます。


こうして、春のガーデンの写真を見ると、「それもそうだなあ」という

気もしてきます。


でも、そんな弱気の甘い誘惑の声に負けちゃいけないよ。

現状を維持して、楽したいという声に負けて、停滞してしまっては、良い

庭が出来ないんだよなあ。


ガーデンのこちら側からの眺めは、まあまあ良いと思うのですが。

逆に言えば、この場所からの眺めしか良くないということでもあります。

もっと、多角的に楽しめる庭ではなければね。


このように、逆に反対側からの眺めはあまり良くないのです。

でも、これを直すのは難しいなあ。

どうやって改善するのかが大きな課題の一つです。


ここで、良い庭についての名言を引用します。以前にもこのブログで

引用したことがありますが、もう一度。


    得もいわれぬ安らぎに包まれ、この残酷な世もまだ捨てた

    ものではないと実感でき、こういうところで最期を迎える

    ことができる申し分ないと思えるような空間。それこそが

    究極の庭ではないだろうか。


    世界の至るところに圧倒的な大自然が満ちあふれているにも

    かかわらず、人が庭造りにのめり込んだり、アクアリウム

    熱中したりするのは、自分独りの、神ですらちょっかい出せ

    ない、何から何まで自分好みの世界を目の当たりにしたいと

    いう、ほとんど本能的な欲求ではないだろうか。


        「安曇野の白い庭」 丸山健二