哲学の道その2です。
今日も京都の桜の続きです。きれいでしたからね。
最近読んだ雑誌に出ていた京都・植藤の第十六代桜守 佐野藤右衛門さ
んの話によると「桜といえば山桜か彼岸桜のこと 京都の桜は染井吉野
ではない」のだそうです。
「染井吉野はたかだか100年前に江戸で生まれたもの。接木が簡単で
すぐに育つ。便利な桜として、全国各地に植樹されたが、容姿も咲き方
も同じ、花を一斉に咲かせて一斉に散る。だから、どこに行っても同じ
風景。可哀そうな桜や。」
「京都で桜といったら、野山に自生する山桜や、町の中で色香を放つ彼
岸桜。何百年も前から咲き続ける日本本来の品種。一本ごとに幹の姿
や、色、形、大きさも違う。こんなさまざまな個性を持つ桜こそが、京
都にふさわしい。何百年もの樹齢を持つ桜は、京都ではざら。」
さすが、桜守の卓見!我が意を得たりと拍手したいです。ちょっと東京
のことを低く見ているのも、京都の人らしいです。
京都御所の左近の桜です。
「染井吉野の老木が、最近寿命を迎え始めている。100年経ってその
特徴が分かり始めた。自然の凄さは、100年くらい経ってみないとそ
のよさが分からないということ。」
「桜の持つ色香は姥桜にしか出せません。若い木は色気はあるけど色香
はない。しわくちゃになった幹の姥桜は、はっとするほど美しい花を付
けるのです。」
これも卓見です。人間もやはり熟女の方が良いもんねというのは飛躍し
すぎですかね。
今日は、良いお天気でした。カフェが、ヒマでしたのでガーデンの花の
手入れをしました。チューリップがほぼ満開です。