これは今日行った日本橋
高島屋の屋上の庭園の
バラです。
屋上にはローズガーデン
がありますが、殆どの
株は冬枯れでした。
それでも、2、3株だけ
バラの花が残っていま
した。
広い庭園には殆ど人が
おらず、静まり返って
いました。
冬のバラは冬薔薇(ふゆ
そうび)と呼ばれてい
ますね。
谷村新司の歌「群青」
の歌詞にも冬薔薇とい
う言葉が登場します。
野辺に咲きたる
一輪の花に似て
儚きは人の命か
せめて海に散れ
想いが届かば
せめて海に散れ
心の冬薔薇
冬薔薇は寂しいですね。
バラは花の盛りが華や
かだから、余計に寒い
冬空の下で咲いている
冬薔薇が侘しく見える
のでしょう。
これは5月のミモザガー
デンのバラです。
やはり花には見頃があ
りますね。
まあ、人間も同じです
が。
こうして華やかに咲い
ている時には、いつか
厳しい冬が訪れ、枯れ
てしまうなんて考えま
せんからね。
シニア・ガーデナーは
バラではないので、
冬薔薇ではなくて、
ただの枯れ草かなあ。。
と、冬薔薇を見ながら
暫し考えこんでいまし
た。
高島屋では美味しいパン
だけ買い、目の前の丸善
に行きました。
3階のギャラリーを訪れ
るためです。
ここには現役の頃には
ランチの後に度々訪れ
ました。
小さなギャラリーで、
短時間で見るのには
調度良いのです。
今日まで「熊谷守一と
巨匠版画展」を開催中
でした。
これは荻須高徳さんの
リトグラフです。
荻須画伯は生涯の殆ど
をフランスで過ごされ
ました。
今から60年も前のこと、
グルノーブルという町
にシニア・ガーデナー
は独り留学中でした。
偶々、ご家族で旅行中
の荻須画伯とカフェで
お会いし、お声をかけ
て下さったのです。
当時のグルノーブルの
光景です。
当時は日本人の留学生
は稀だったので励まし
て下さったのだと思い
ます。
荻須画伯の名前はその
時は存じ上げなかった
のですが、温かいお
言葉が嬉しく、とても
励みになりました。
それから15年ほどが
経ち、シニア・ガーデ
ナーはある銀行のパリ
駐在員となりました。
そして、日本大使館で
のパーティで荻須画伯
とお目にかかる機会が
ありました。
15年前にグルノーブル
でお会いした話をし、
改めて励ましの言葉に
お礼を申し上げました。
画伯はニコニコと話を
聞いて下さり、会った
ことを覚えているよと
言って下さいました。
今日、画伯の絵を見な
がら遠い日を懐かしく
想い出しました。
画伯は1986年に亡くな
り、墓地は生涯の大部
分を過ごされたパリの
モンマルトルにあるそ
うです。
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